2019年4月9日にお札デザインの変更が発表されました。貨幣の刷新は20年ぶりです。
これまで樋口一葉が描かれていた五千円札は、新しく津田梅子の肖像になります。
しかし、津田梅子という人物がどんな人で、何をした人なのか知らない人も多いようです。
そこで、津田梅子がお札に選ばれた理由やこれまでの功績を、有名な名言やエピソードなどを交えて簡単に分かりやすくご紹介します。
津田梅子はなぜお札になったのか?その理由とは
津田梅子がお札の人に選ばれた理由は、新しいデザインにする上で以下の条件にあてはまったためです。
- 明治時代以降の文化人(前2回の改札のときの考え方を踏襲)
- なるべく精密な写真が手に入る(偽造防止)
- 品格があり、お札にふさわしい肖像である
- 国民各層に親しまれ、広く認められている
その中でも、津田梅子が選ばれた最大の理由はコレ。
日本初の女子留学生で、
近代的な女子高等教育に尽力した教育者
それはそれはすごい人なのですが、イマイチ良く分からないかも。どんなことをやった人なのか、詳しくご紹介します。
津田梅子ってどんな人?プロフィールと功績
津田梅子の職業は「教育者」です。
東京都小平市にある私立・津田塾大学の創立者として有名です。
1864年12月31日生まれ。今から約150年も昔に誕生した方でした。
満6歳のとき、津田梅子は女性初の留学生として岩倉使節団とともにアメリカへ渡りました。まだ海外へ行くことが珍しかった時代に、たった6歳で5人の女子留学生のひとりに選ばれたのです。
それからずっとアメリカ暮らしだった津田梅子は、11年後の18歳で帰国したとき、日本の女性が置かれている状況にカルチャーショックを受けたそうです。
日本では英語教師として働いていたものの、再び留学をして生物学の勉強を熱心に行いました。
その後日本に帰国し、女性の地位向上を目指して、1900年に津田塾大学の前身である「女子英学塾」を創設しました。英語教育を中心に力を入れ、女性の地位向上に努めました。
今までの日本にはない、国際的でレベルの高い女性教育を行い、女性の社会参画の機会を広げたパイオニアです。
津田梅子ゆかりの地
津田梅子のゆかりの地をご紹介します。お札になる記念に、足を運んでみるのもいいかも。
津田塾大学
津田梅子といえば、津田塾大学です。
東京都小平市にある大学内には、津田梅子資料室、津田梅子記念交流館が設置されています。資料室には展示スペースもあり、一般の方も見学することが可能です。
津田梅子のお墓
津田梅子のお墓は、同じく津田塾大学の小平キャンパス内にあります。校舎から少し離れたグラウンドの奥に、ひっそりと石碑が置かれています。
津田梅子にまつわるエピソード
津田梅子の名言として、今なお語り継がれているのが、女子英学塾(現:津田塾)の開校式で話された言葉です。
「真の教育には物質上の設備以上に、もっと大切なことがあると思います。それは、一口に申せば、教師の資格と熱心と、それに学生の研究心とであります」
「人々の心や気質は、その顔の違うように違っています。したがって、その教授や訓練は、一人々々の特質に、しっくりあてはまるように仕向けなくてはなりません」
「英語を専門に研究して、英語の専門家になろうと骨折るにつけても、完き婦人となるに必要な他の事柄を忽せ(ゆるがせ)にしてはなりません。完き(まったき)婦人即ち all-round women となるよう心掛けねばなりません」
引用:津田塾大学HP
英語をとおして、世界に目を向けられる人間を育てたい。
そして、英語だけでなく、視野の広い女性になってほしい。
そんな津田梅子の熱い想いが伝わってきますね。
さいごに
たった6歳で、大人に混ざってアメリカに行くなんて…
今の時代でも考えられないくらいすごい経験をされた女性です。
幼少期からアメリカで育てられたからこそ、日本文化に違和感を感じたんだろうし、日本女性の地位の低さにショックを受けたんだろうと思います。
樋口一葉に続いて5千円札は女性が起用されましたが、今回、津田梅子が選ばれた理由もうなずけます。
お札に採用されると発表されてから、津田梅子のことがわかる書籍にも注目が集まっています。この機会にぜひ手に取ってみてはいかがですか。
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